卑弥呼の勾玉

弥生時代風赤碧玉勾玉「卑弥呼」 [21m007]

弥生時代風赤碧玉勾玉「卑弥呼」 [21m007]

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商品詳細

ありそうで無かった弥生時代風の赤碧玉製勾玉です。
パワーストーン屋さんで売っている勾玉の多くは中国製のオタマジャクシのような形状であったり、ぬなかわヒスイ工房も含めて一般的に売られている勾玉の大部分は現代的なデザインにアレンジされており、歴史的遺物の勾玉とは異なります。
この勾玉は某遺跡から出土した勾玉の実測図に基づいて作った弥生時代風デザインですので、もしかしたら卑弥呼が首から下げていた勾玉もこんなデザインであったかも知れません。

赤碧玉について
国産では佐渡ヶ島産の「赤玉」が有名ですが、装身具として利用されるのは弥生時代以降で、まるで縄文時代には存在しなかったかのように縄文遺跡からは出土しないのが不思議です。
古来から赤は旺盛な生命力を表すと感じられていたようで、魔除けに多用されてきた歴史があります。
神社の鳥居や、寺院建築などの赤い彩色はその名残。
因みに八岐大蛇のチは、根源的な霊性や力強い霊力を意する古語であり、血・乳のチも同義だそうです。

使用原石の産出国は不明ですが、一般に出雲石として流通している青碧玉と同様に、碧玉にしてはザラツキ感があり、モース硬度も低い感じがしますので、ジャスパーとして流通しているにせよ鉱物学的には珪質化した赤い鉱物とでも言っておいた方が無難だと思います。

勾玉について
勾玉の形状については、胎児説や三日月説、牙玉説などがありますが、その祖形は糸魚川市の長者ケ原遺跡から出土する玦状耳飾りの割れた半分をリメークした三日月形のペンダントにあったようです。
やがて縄文前期(六千〜五千年前)の長者ケ原遺跡で胎児のような牙状勾玉が作られ、晩期(三千〜二千五百年前)には青森県で胎児そっくりな勾玉が多く作られていくようになりました。
勾玉は時代と共にスマートな形状になっていく傾向があり、弥生時代以降に我々が見慣れた定形勾玉となっていきます。

多くの職人さんはヒスイの質を自慢しますが、私はヒスイの質を褒められるより、「生きてるみたい!」とか「ジェリービーンズみたいに口の中に入れてしまいたくなるほど美味そう!」「手に持つと馴染んでずっと持っていたくなる!」と勾玉の出来を褒められるほうが嬉しいです(笑)・・・一勾玉入魂の気概で作りました。
量産された勾玉にはない、微妙な曲線や手触りをお楽しみください。
ぬなかわヒスイ工房の勾玉は、全て紐孔の内部まで研磨してあります。

*蝋引きコットン組紐付き(ご要望に応じてビーズ仕様のご相談も承ります)

商品詳細

寸法;縦×幅×厚み(mm) 25×16×8
材質; 赤碧玉(産地不明)

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