丸玉(直径6mm・孔直径2・5mmサイズ・参考品) [22m0319]
商品詳細
ぬなかわヒスイ工房の勾玉のオプションとして丸玉を作っていましたが、参考例としてご紹介します。
市販の丸玉は、紐孔直径はオペロンゴムを通すことのできる1・5mm前後で、丸玉加工機という機械で自動成形され、バレル研磨機で自動研磨された量産品が大部分です。
ぬなかわヒスイ工房ではすべて手作り品。
古代風の勾玉にしたいとの注文品や、麻紐作家さんとのコラボで産まれましたので、木綿紐や麻紐を通すことを前提として紐孔の直径は2・5mmを標準にしています。
ご注文に応じて、直径15mm〜6mmの丸玉加工も承っております。
ですので丸玉の単品販売はしておらず、対面販売限定品です。
勾玉の飾り方について
いままで商品化しなかったのか不思議なのですが、古墳時代のように縦向きの飾り方にしてみたら、かわいいチョーカーになります。
縄文時代の大珠の多くや、縄文晩期以降の勾玉の飾り方は出土状況や埴輪などから縦向きと推測されています。
現在の勾玉の身に付け方は相手にむかって逆C字形に飾りますが、これは大正時代の考古学的な裏表の分類基準が誤って民間に伝わった以降にできた習慣のようで、明治期に作られた松浦武四郎の「大首飾り」は往古風の縦向きになっています。
ですのでヌナカワ姫や卑弥呼も縦向きの勾玉を身に付けていたことでしょう。
紐孔の直径は3mm少しありますので、麻紐や革紐、髪どめゴムなどお好みの紐に付け替えてお楽しみください。
また一般的な横向きにしたい場合は、プラス3,000円でシルバー製八の字環のオプションをお申し付けください。
追加オプションは下記の通りです。
(1)シルバー製「八の字環」仕立て(3,000円追加)
独自開発した幅2mm前後の八の字環を付けることで、横向きの飾り方が可能になります。
お手持ちの金属チェーンを通したい場合は、当方に送って頂ければ留め具が抜けない寸法に作りますのでお問合せ下さい。
*ご予算に応じてヒスイ原石を選びます・・・(オーダーは20,000円〜)
勾玉について
勾玉の形状については、胎児説や三日月説、牙玉説などがありますが、原初の形は糸魚川市の長者ケ原遺跡から出土する玦状耳飾りの割れた半分をリメークした三日月形のペンダントであったようです。
やがて縄文前期(六千〜五千年前)の長者ケ原遺跡で胎児のような牙状勾玉が作られ、晩期(三千〜二千五百年前)には青森県で胎児そっくりな勾玉が多く作られていくようになりました。
やがて時代と共に勾玉はスマートになっていく傾向があり、弥生時代以降に我々が見慣れた定形勾玉となっていきます。
市販の丸玉は、紐孔直径はオペロンゴムを通すことのできる1・5mm前後で、丸玉加工機という機械で自動成形され、バレル研磨機で自動研磨された量産品が大部分です。
ぬなかわヒスイ工房ではすべて手作り品。
古代風の勾玉にしたいとの注文品や、麻紐作家さんとのコラボで産まれましたので、木綿紐や麻紐を通すことを前提として紐孔の直径は2・5mmを標準にしています。
ご注文に応じて、直径15mm〜6mmの丸玉加工も承っております。
ですので丸玉の単品販売はしておらず、対面販売限定品です。
勾玉の飾り方について
いままで商品化しなかったのか不思議なのですが、古墳時代のように縦向きの飾り方にしてみたら、かわいいチョーカーになります。
縄文時代の大珠の多くや、縄文晩期以降の勾玉の飾り方は出土状況や埴輪などから縦向きと推測されています。
現在の勾玉の身に付け方は相手にむかって逆C字形に飾りますが、これは大正時代の考古学的な裏表の分類基準が誤って民間に伝わった以降にできた習慣のようで、明治期に作られた松浦武四郎の「大首飾り」は往古風の縦向きになっています。
ですのでヌナカワ姫や卑弥呼も縦向きの勾玉を身に付けていたことでしょう。
紐孔の直径は3mm少しありますので、麻紐や革紐、髪どめゴムなどお好みの紐に付け替えてお楽しみください。
また一般的な横向きにしたい場合は、プラス3,000円でシルバー製八の字環のオプションをお申し付けください。
追加オプションは下記の通りです。
(1)シルバー製「八の字環」仕立て(3,000円追加)
独自開発した幅2mm前後の八の字環を付けることで、横向きの飾り方が可能になります。
お手持ちの金属チェーンを通したい場合は、当方に送って頂ければ留め具が抜けない寸法に作りますのでお問合せ下さい。
*ご予算に応じてヒスイ原石を選びます・・・(オーダーは20,000円〜)
勾玉について
勾玉の形状については、胎児説や三日月説、牙玉説などがありますが、原初の形は糸魚川市の長者ケ原遺跡から出土する玦状耳飾りの割れた半分をリメークした三日月形のペンダントであったようです。
やがて縄文前期(六千〜五千年前)の長者ケ原遺跡で胎児のような牙状勾玉が作られ、晩期(三千〜二千五百年前)には青森県で胎児そっくりな勾玉が多く作られていくようになりました。
やがて時代と共に勾玉はスマートになっていく傾向があり、弥生時代以降に我々が見慣れた定形勾玉となっていきます。
商品詳細
材質; | 糸魚川翡翠・姫川薬石 |
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